2016年6月6日月曜日

大迫の産業と商人(たばこ産業)

 南部藩の政策で繁栄してきた大迫の産業と商人は、江戸の時代の終わりから明治時代の始め


にかけて、たばこ産業で栄華を極めることとなります。

 日本国内で大迫でしか耕作されなかった希少な葉たばこ「南部葉」は、大迫の花形産業として、


経済のけん引役でした。南部葉の歴史は、江戸時代に遡ります。慶長年間(1596~1615年)、現在

の岩手県釜石港付近にフィリピンのルソン島を出港した船が漂着。船の積み荷には、フィリピンで

耕作されていた葉たばこ「マニラ葉」の種子がありました。このマニラ葉が大迫に伝わり、南部葉の

ルーツになったと云われています。
 

江戸時代半ばになると、南部葉は刻みたばこの形で、江戸などに出荷されるようになりました。

辛口で火の持ちが良く、口が荒れにくかったため、特に花魁たちに人気があり、「南部花魁たばこ」

とも呼ばれたようです。葉たばこ産業は、江戸時代後期から明治初期に最盛期を迎え、明治22年

(1889年)にパリ万国博覧会に出品した「南部たばこ」が入賞し、名声は一層高まりました。

 しかし、明治31年(1898年)、葉たばこの専売制が始まったことをきっかけに問屋は姿を消し、


南部葉も昭和55年頃に廃作されました。

 南部葉で財産を築いた商人達は、専売制が実施されたことから、その財をもって次は養蚕へと変

化させていきます。そのことはまた次回へ

 

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