世界遺産 「富岡製糸場と絹産業遺産群」のHPより
特に群馬県では、養蚕・製糸業が盛んになり、技術も発展しました。群馬県の桐生や伊勢崎では、絹織物業もさかんになりました。江戸時代、日本は外国と貿易を制限していましたが、1859 年外国との貿易が始まると生糸は日本の最大の輸出品になりました。
そこに着目した明治政府は、1872(明治5年)にフランスの最新式の製糸機械を備えた富岡製糸場を富岡市につくり、品質の良い生糸の作り方の見本を示すことにしました。富岡製糸場は、1872年(明治5年)に作つくられた、
このことに目をつけたのが、大迫の商人です。
後藤製糸工場
その後、1894年(明治27年)には、多くの工員を抱え、県内最大規模の工場群となりました。また、翌年には富岡製糸場に女性工員を派遣して技術も習得させました。
町も大変賑わっていました。
その頃、京都から生糸の買い付けに来た商人が、江戸時代のひな人形を持ち込んで、町内の人に売ったことから多くのひな人形が大迫に残っているのです。
高価なものは、「家」一軒が建てられるくらいのものもあるとのことです。(現在の価値にすると数千万?)
その後のお話は、「開町400年の講話」では、お聴きすることができませんでしたので、中村館長さんにいつか教えてもらいたいと思っています。
やはり大迫はすごいところです。 今回で「開町400年」の特集は終了とさせていただきます。。
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