にかけて、たばこ産業で栄華を極めることとなります。
日本国内で大迫でしか耕作されなかった希少な葉たばこ「南部葉」は、大迫の花形産業として、
経済のけん引役でした。南部葉の歴史は、江戸時代に遡ります。慶長年間(1596~1615年)、現在
の岩手県釜石港付近にフィリピンのルソン島を出港した船が漂着。船の積み荷には、フィリピンで
耕作されていた葉たばこ「マニラ葉」の種子がありました。このマニラ葉が大迫に伝わり、南部葉の
ルーツになったと云われています。
辛口で火の持ちが良く、口が荒れにくかったため、特に花魁たちに人気があり、「南部花魁たばこ」
とも呼ばれたようです。葉たばこ産業は、江戸時代後期から明治初期に最盛期を迎え、明治22年
(1889年)にパリ万国博覧会に出品した「南部たばこ」が入賞し、名声は一層高まりました。
しかし、明治31年(1898年)、葉たばこの専売制が始まったことをきっかけに問屋は姿を消し、
南部葉も昭和55年頃に廃作されました。
南部葉で財産を築いた商人達は、専売制が実施されたことから、その財をもって次は養蚕へと変
化させていきます。そのことはまた次回へ
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