大迫にぶどうの作付けを奨励した方が、国分謙吉岩手県知事です。
国分謙吉さんは1878年(明治11年)岩手県二戸市の生まれで、農業指導者や岩手蚕種株式会社社長などを経て、
1947年(昭和22年)の地方制度改革後に行われた選挙で選ばれた初の知事なのです。(それまでの都道府県知事は、国から派遣された内務官僚が務めていました。)
大迫との関わりは、昭和22・23年カザリン・アイオン台風が、大迫町に深刻的な被害 を与えたとき、
本校北側の道路には銅像への案内板が設置されています。
当時の県知事国分謙吉は、大迫には傾斜地が多く、昼夜の寒暖の差が大きいこと。
学校北側のぶどう畑は傾斜地です。
年間降雨量が少なく、地質的に石灰質であることがフランスボルドー地方に似た気候風土であることに着目し、復興策の一環として大迫町は葡萄 栽培を推進したのです。
「ぶどう作り隊」の様子
そのことが、「ぶどうの産地」大迫となり、ワイン製造へとつながっていったと言えるのだと思います。
農を基本とした政策を推進し、農業立県岩手の基礎を築いた方なのです。
大迫のぶどうは、着実な進歩を遂げ、新花巻市を代表する農産物となりました。
このぶどうは?
皮ごと食べられる高級白ぶどうの「シャインマスカット」も作られはじめています。
大迫のぶどうと国分謙吉岩手県知事の関わりについてでした。
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