2016年5月19日木曜日

地域学習の様子

 地域学習会 『大迫の歴史と開町400年 』講演会、大変勉強になりました。


 学校を出発。徒歩で活性化センターに向かいました。


 途中様々な方にお会いするのですが、生徒がさわやかに「こんにちは!」の挨拶をしています。

川原町を歩く生徒たち

 本当に良い生徒に恵まれています。


 それでは本題の講演内容を

 
1500年代の終盤、大迫町は、中世の豪族稗貫氏(大迫氏)の領地であったこと。

 1590年の豊臣氏の奥州仕置きにより、稗貫氏(大迫氏)が没落し、江刺の人首に逃れ、領地は南部藩のものとなったこと。
 
 その時、大迫高校のある場所に、南部氏は代官所を設け、田中藤四郎を名代としてに支配させたこと。

 1600年に、江刺に逃れていた稗貫氏(大迫氏)は伊達政宗の支援を受けて田中藤四郎を討伐したこと。

 その場所が、現在大迫高校の野球グランド周辺であること。

戦いの場であった本校のグラウンド
 
本校の校地は、縄文遺跡であり、中世に戦のあった場所なのです。歴史ロマンを感じます。

天神ヶ丘遺跡の表札(テニスコート西側道路)

 また、現在の、上町・仲町・下町の町中心部は、旧遠野街道が大きく曲がっていることを懸念して、南部利直公が1617年に整備して宿場町としたこと。川原町は早池峰山への入り口だったこと。


新街道となる町中心部 

 このことが開町400年という根拠となっているそうです。



 本当は、まだまだお話しししたいことがあるのですが・・・(銭座・商人・産業など)

 今後、何回かに分けてお伝えしたいと思います!!

 
 


生徒が歩いた大迫保育園前が旧遠野街道で、発掘調査で

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